食品ロスの注目度を高め、第2回食生活ジャーナリスト大賞「食文化部門」を授賞した私が今、伝えたいこと – Yahoo!ニュース 個人

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2018年3月28日、第2回食生活ジャーナリスト大賞の授賞式が、毎日パレスサイドビル9階「アラスカ」で開催された。ジャーナリズム部門は「東北食べる通信」編集長の高橋博之さんが受賞、ジャーナリズム部門・特別賞では日本生活協同組合連合会が受賞、食文化部門では「食品ロス問題を全国的に注目されるレベルまで引き上げた」として筆者が受賞した。関係者の方に厚くお礼を申し上げたい。

写真左からジャーナリズム部門特別賞受賞の日本生活協同組合連合会さん、ジャーナリズム部門受賞の高橋博之さん、筆者、JFJ代表理事の小島正美さん(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)監物南美さん)
写真左からジャーナリズム部門特別賞受賞の日本生活協同組合連合会さん、ジャーナリズム部門受賞の高橋博之さん、筆者、JFJ代表理事の小島正美さん(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)監物南美さん)

食生活ジャーナリストの会(JFJ)発表プレスリリース

第2回「食生活ジャーナリスト大賞」受賞者決定

第2回「食生活ジャーナリスト大賞」受賞者決定!

食生活ジャーナリストの会(JFJ)代表幹事の小島正美さん(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)提供 http://www.jfj-net.com)
食生活ジャーナリストの会(JFJ)代表幹事の小島正美さん(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)提供 http://www.jfj-net.com)

食生活ジャーナリストの会(JFJ)代表幹事の小島正美さんは、食品安全の分野の優れた記事やご著書で広くお名前が知られている方だ。小島さんが代表を務めておられる、食とジャーナリズムのプロフェッショナルの会に評価して頂き、この上ない光栄さをしみじみと味わっている。小島さんより、受賞者スピーチでは「食品ロスの本を書くに至るまでの経緯を話して下さい」とのことだったので、食品ロス問題に携わるきっかけと、これまでの経緯についてお話しした。その概要について、授賞式に参加されなかった方にも広く知って頂けるよう、ここでまとめておきたい。

以下

受賞者3者に贈られた記念の盾(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)http://www.jfj-net.com)
受賞者3者に贈られた記念の盾(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)http://www.jfj-net.com)

このたびの受賞に感謝申し上げます。食品ロスに関しては、京都大学が昭和55年から家庭のロスの調査をしているし、農林水産省は平成10年代から統計調査を取ってきた。先人の努力があってこその啓発活動なので、個人で受賞するのはおこがましいが、受賞することで、さらに「食品ロス」問題が広く知られると思い、代表して受賞させて頂きたいと思った。

筆者が食品ロス問題に関わったのは2008年。当時、勤めていたグローバル食品企業の米国本社のCSR部長から「日本にも、食品ロスを廃棄しないで活用するフードバンクがあるよ」と連絡がきたのがきっかけだった。フードバンクとは、まだ十分に食べられるにも関わらず、賞味期限接近などの理由で商品として流通できない食品を引き取り、食べ物を必要としている人や組織に渡す活動、もしくはその活動を行なう団体のことを指す。米国では1967年にフードバンクが始まり、これまで50年以上の歴史がある。

米国では、寄付すると税金が安くなる税制上の優遇措置がある。また、万が一、意図せざる食品事故が発生したとしても寄付者に責任を問わない免責制度(善きサマリア人の法:よきさまりあびとのほう)がある。筆者が勤めていた企業の米国本社では、すでに30年近く、フードバンクへの寄付を続けており、その額も日本円にして年間で億単位であった。

セカンドハーベスト・ジャパン代表のチャールズ・マクジルトンさん(写真左)と筆者(右)(セカンドハーベスト・ジャパンスタッフ撮影)
セカンドハーベスト・ジャパン代表のチャールズ・マクジルトンさん(写真左)と筆者(右)(セカンドハーベスト・ジャパンスタッフ撮影)

米国本社からの紹介があったので、当時の日本法人の社長と筆者が、日本初のフードバンクであるセカンドハーベスト・ジャパンの代表、チャールズさんと渉外担当の方にお会いした。食品メーカーの方ならわかると思うが、メーカーは、在庫を少な過ぎても多過ぎても困るというジレンマがある。少なくして欠品を起こせば、販売者である小売に対し、売上を失わせた補償をしなければならない。悪くすれば取引停止になる。かといって、多過ぎても、保管している間に賞味期限が接近してきて販売できなくなり、自社のコストを負担して廃棄しなければならない。フードバンクに寄付をすれば、配送費の負担だけで済むし、その行為は寄付として企業の社会貢献にもなる。そこで日本でも2008年3月から商品の寄付を始めた。筆者はフードバンクの窓口となり、横の繋がりで他の食品企業ともやり取りが増えた。また、協賛企業としてメディア取材も積極的に受けた。

食品企業時代、品川女子学院の生徒に講義を行なう筆者(同僚撮影)
食品企業時代、品川女子学院の生徒に講義を行なう筆者(同僚撮影)

2011年3月11日、筆者の誕生日に東日本大震災が発生した。当時、筆者は、広報・栄養・社会貢献という3つの業務を一名で担当していた。それに加えて、日本法人の社長から、自社商品を支援物資として被災地に手配するよう、指示があった。企業と被災地を仲介してくれていた農林水産省の方に連絡をとり、連日、運ぶ場所を探していた。が、自衛隊の倉庫はじめ、どこもいっぱいで、運べる場所が見つからない。

並行して、海外の法人からも自社商品を支援物資として提供できる旨の連絡がきた。タイや韓国、オーストラリアなど。オーストラリアは対応が早く、英語でエクセルの表に、提供可能な商品の数量や荷姿、重量など、詳細な情報を送ってくれた。だが、海外の支援物資をどう手配すればよいのかわからない。農林水産省の方に伺ったところ、首相官邸に電話するように言われた。電話すると「その件は厚生労働省」とのこと。厚生労働省に電話したら「検疫所が担当」。検疫所に電話すると「税関が担当」。税関に電話したら「港によって管轄が違います。どこの港ですか?」と言われた。冷静なもの言いに腹が立ち、「今、1個のおにぎりを4人で分け合っている状態なんですよ!」と怒鳴ったら、電話口の向こうで女性が涙声で謝っていた。

まだ国内の支援物資すら運ぶことができていないので、海外からの支援物資は一旦諦めて、国内のを優先した。3月22日頃、ようやく、農林水産省の方が運べる場所があったと連絡してくださった。東京都福生市(ふっさし)の米軍横田基地。ここに10トントラック2台で、シリアルビスケット22万800食を運んだ。その後、ヘリコプターで、岩手県花巻市と、宮城県仙台市に運んでもらった。

3月23日頃、再度、首相官邸に電話したら「もう(支援物資は)足りてます」「被災者は国産がいいと言っています」と言われ、納得いかないまま、諦めた。

2011年4月中旬、Yahoo!JAPANのトップニュースに「宮城県の避難所で栄養不足発生」とあった。これは4月15日、NHKニュースが報じたものだった。日本栄養士会が、宮城県気仙沼市(けせんぬまし)の避難所で提供されている食事を調べたところ、避難所の4割でタンパク質が、3割でビタミンと食物繊維が足りていないことがわかった、とするものであった。日本栄養士会は「避難所の食事はおにぎりやカップラーメンなどが中心で、おかずが少なくなるため、タンパク質やビタミンなどが不足しがちになっている」とのことだった。

セカンドハーベスト・ジャパンで炊き出しのボランティアを行なう筆者(写真中央、スタッフ撮影)
セカンドハーベスト・ジャパンで炊き出しのボランティアを行なう筆者(写真中央、スタッフ撮影)

このニュースを聞いて2つのことを行なった。1つは、社長と工場長に頼んで、再度、自社商品を支援物資として手配すること。23万9700食のシリアルビスケットを手配した。農林水産省の仲介役は、震災発災から約1ヶ月で終了していた。そこでセカンドハーベスト・ジャパンにお願いして、トラックに載せてもらうことにした。筆者も現地に行きたい思いが強かったので、一緒にトラックに載せてもらい、宮城県石巻市で支援物資を降ろし、Twitterなどで拡散して必要な人に呼びかけた。

石巻専修大学で自社商品を積み降ろしする筆者(2011年4月、セカンドハーベスト・ジャパンスタッフ撮影)
石巻専修大学で自社商品を積み降ろしする筆者(2011年4月、セカンドハーベスト・ジャパンスタッフ撮影)

もう1つは、プレスリリースを出した。それまでの約1ヶ月間、プレスリリースは自粛していた。命に関わる報道が先決と考えたからだ。しかし震災から1ヶ月経ち、避難所で栄養不足発生と聞き、これは伝えなければと思ったことがあった。2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の時、新聞記事(2004年10月27日付、朝日新聞東京地方版33面、洋菓子メーカーのシベールがラスクを1500袋寄贈)を見て、翌朝、社長と工場長に頼んで、新潟に自社商品を寄付したことがあった。その時、被災者からお礼の電話を頂いた。「ライフライン(電気・ガス・水道)が全部止まってしまっている時、開けてすぐ食べられて、栄養バランスも取れていて、すごく助かった。これからは災害食として売り出すといいと思う」というものだった。そのストーリーを書いて、リリースを出した。通常のリリースだと、「社名が出ないとダメ」「製品名が出ないと広報としての評価はない」ということになるが、社名も製品名も出なくていいと割り切った。そうしたら、経済紙の記者が「これは伝えるべきだ」と、オンラインで、社名も製品名も入れて大きく報じてくれた。この時の経験から、

伝える側にいる人間は、自社の損得に固執するのでなく、今の社会に必要なことを発信すること。それによって、会社も社会も自分も、結局はよい形になる

と確信を持つことができた。

一つの組織にいたのでは、そこのことしかできない。震災を経験したことで、いろんなもどかしさや、ジレンマを感じていた。とはいえ、筆者にとって、会社の存在は大きかった。この時点で、勤続14年経っていた。

会社で一名の広報・栄養・社会貢献の責任者だった筆者(写真:「広報会議」2010年9月号掲載)
会社で一名の広報・栄養・社会貢献の責任者だった筆者(写真:「広報会議」2010年9月号掲載)

筆者は、「転勤族の子ども」として育ってきたため、10年以上同じところにいたことがなかった。出身を聞かれるといつも困る。出生地は「東京都千代田区神田駿河台」(御茶ノ水駅近く)だが、生まれてすぐ北海道の札幌に移動したし、南は福岡県久留米市まで転々と育ってきた。ようやく10年以上居られる居場所が会社だった。管理職にもなっていた。在籍中に、玄米と小麦ふすまのシリアルを摂取した際の皮膚と腸内環境への影響を調べ、英語論文にまとめ、女子栄養大学大学院で博士号(栄養学)も取得した。収入もあるし、それまで構築してきた人間関係もあるし、それを全部失うのか?と考えたら怖くてノイローゼになるかと思うくらい悩んだ。

青年海外協力隊フィリピン食品加工隊員時代、安価なモロヘイヤの栄養的な価値を村の女性たちに教え、フィリピンの人たちが嫌いな「ネバネバ」しない調理法として、スープのとろみ付けに使う方法を指導(協力隊撮影)
青年海外協力隊フィリピン食品加工隊員時代、安価なモロヘイヤの栄養的な価値を村の女性たちに教え、フィリピンの人たちが嫌いな「ネバネバ」しない調理法として、スープのとろみ付けに使う方法を指導(協力隊撮影)

そこで2つのことを考えた。1つは、最初の会社(ライオン株式会社)の研究所を辞めて青年海外協力隊に行った時のこと。周りは「なぜ一部上場企業の研究職を辞めるのだ」という見方だった。世間的に見ても、上から下(ボランティア)に落ちる、という感じだったと思うが、結果的には、もっと上に上がることができた。職位が上がるという意味ではなく、より、自分の適性や志向に合ったキャリアに近づくことができた。5歳から食が好きで、社会貢献的なことにも興味があり、伝えるということに対しても研究職の時から問題意識があった。

ライオン株式会社の研究所を退職する時の筆者(同僚撮影)
ライオン株式会社の研究所を退職する時の筆者(同僚撮影)

もう1つは父のこと。都市銀行の銀行員で、父の父(筆者の祖父)と同様、支店長になるまで頑張っていた。念願の支店長になって5ヶ月後、脳梗塞で他界した。46歳だった。母は専業主婦、弟は10歳、筆者は奨学金を受け取って大学に通った。人はいつ亡くなるかわからない。

都市銀行の札幌支店に勤務していた頃の父(左)と筆者(家族撮影)
都市銀行の札幌支店に勤務していた頃の父(左)と筆者(家族撮影)

そこで2011年9月付(最終出社2011年7月)で退職し、独立する決意をした。まずは個人事業主となり、屋号は自分の誕生日で転機となった3.11を使った「office 3.11」。その後、すぐに法人化し、株式会社office 3.11とした。

最終出社を終えてすぐ、セカンドハーベスト・ジャパンのトラックに載せてもらい、宮城県石巻市に行ったところ、セカンドハーベスト・ジャパンの代表やスタッフから「井出さん、会社辞めたのなら、うちの広報をやってくれない」と頼まれた。それから3年間、広報を担当した。食品メーカー時代に彼らのホームページを見ていて、まったく動かないと思っていたので、リニューアルすることを提案した。

セカンドハーベスト・ジャパン主催、農林水産省や食品企業との会議で立ってプレゼンテーションする筆者(セカンドハーベスト・ジャパンスタッフ撮影)
セカンドハーベスト・ジャパン主催、農林水産省や食品企業との会議で立ってプレゼンテーションする筆者(セカンドハーベスト・ジャパンスタッフ撮影)

また、身を呈して支援活動を続けているのに、活動を社会に知らしめるというところが薄いと思ったので、日本PR協会のPRアワードグランプリに応募し、プレゼンテーションし、ソーシャルコミュニケーション部門の最優秀賞を受賞した。また農林水産省の食品産業もったいない大賞にも応募し、食料産業局長賞を受賞するなど、顕彰制度で第三者に評価を得るようにしてきた。講演や講義の依頼、メディア取材も積極的に受けてきた。企業にいた時には自社のロスしか見えなかったのが、フードバンクの中に入り、日本の食品ロスの縮図とも言える、様々な組織からの食品ロスを横断的に見ることができるようになった。

社会人として2つ目の大学院に入学し、修了して農学の修士号を取得した(同級生撮影)
社会人として2つ目の大学院に入学し、修了して農学の修士号を取得した(同級生撮影)

また、社会人で2つ目の大学院にも入学し、日米のフードバンクの比較や評価指標の検討を行ない、2015年3月に修士号(農学)を取得した。

『賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか』(書影:幻冬舎提供)
『賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか』(書影:幻冬舎提供)

講演は、直に伝えられるのでやり甲斐はあったが、本の方がもっと広く多くの人に伝えられるのでは、と考えた。出版講座に入り、企画を幻冬舎新書編集長の小木田順子さんに採用して頂き、『賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか』を出版し、3刷となった。2015年には、主要メディア150紙誌に登場した「食品ロス」というワードは約450件で、2016年には3000件近くなった。

小木田さんがYahoo!ニュース個人のオーサーに、と推薦して下さり、審査を経て、2017年3月11日から食品ロスをテーマにした記事を書くようになった。これまでのアクセス数は1,000万PV(ページビュー)を超えており、特にコンビニ本部とオーナー双方に取材した記事は大きな反響を得た。

左から幻冬舎新書編集長の小木田順子さん、筆者、Yahoo!ニュース個人で編集を担当して下さる高山千香さん(2018年3月28日、授賞式のカメラマンさん撮影)
左から幻冬舎新書編集長の小木田順子さん、筆者、Yahoo!ニュース個人で編集を担当して下さる高山千香さん(2018年3月28日、授賞式のカメラマンさん撮影)

日本の食品ロスの要因は様々なものがあるが、一つは「ゼロリスク志向」だと考えている。2017年2月に出演したNHKの「視点・論点」では、天秤のイラストを書いて示した。一方が安全性を担保すること、もう一方が資源活用すること。食においては両方が大切だが、天秤がどちらかに傾いてしまうと、どちらかがおろそかになってしまう。

受賞者スピーチをする筆者(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)http://www.jfj-net.com)
受賞者スピーチをする筆者(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)http://www.jfj-net.com)

もう一つは、食品業界に存在するヒエラルキー(階層)。メーカーは、販売者に対してモノを言いづらい。コンビニ業界では、本部がピラミッドの上にいて、下にはオーナーさんがいる。どちらの関係も、契約更新しないとか、取引停止するなど、生活に関わるので、下は上に従わざるを得ない、そのような商慣習がある。生きている間に、できるだけそれを改革できればと思っている。

マスメディアの方々の取材のおかげで、かなり食品ロスも報道されるようになった。一つ、お願いがあるとすれば、環境配慮の原則である「3R(スリーアール、さんアール)」。これの優先順位が逆になっているのではと思う報道がある。優先順位を理解して報じていただきたい。

写真左から特別賞受賞の日生協連合会、ジャーナリズム部門受賞の高橋博之さん、筆者、JFJ代表幹事の小島正美さん(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)http://www.jfj-net.com)
写真左から特別賞受賞の日生協連合会、ジャーナリズム部門受賞の高橋博之さん、筆者、JFJ代表幹事の小島正美さん(写真:食生活ジャーナリストの会(JFJ)http://www.jfj-net.com)

まず最優先がリデュース(減らす)。次がリユース(再利用)。そしてリサイクル。京都市や東京都文京区は、最後のリサイクルを取って、優先順位の上2つで「2R(にアール、ツーアール)」と呼んで啓発を行なっている。

環境省のホームページからダウンロードできる3010(さんまるいちまる)運動の啓発ツール。筆者手作りで懇親会のテーブルに置かれた(写真:高山千香さん)
環境省のホームページからダウンロードできる3010(さんまるいちまる)運動の啓発ツール。筆者手作りで懇親会のテーブルに置かれた(写真:高山千香さん)

生きたくても生きられなかった命を思い、これからも食品ロスを減らす活動を続けていきたい。その上で、励みになる賞を受賞させていただき、感謝申し上げます。





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