なぜインド人エリートは西葛西に住むのか #2 – 佐々木 実 – BLOGOS

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西葛西にインド人が集まるようになったのは、2000年前後からだった。インドのITサービス企業から、多くの若い技術者たちが日本に派遣された(#1参照)。異国の地に住まう彼らは、いったいどんな暮らしをしているのだろうか。

(出典:文藝春秋2017年7月号「50年後のずばり東京」・全3回)

給料はインドの4倍

 ラジャンは西葛西駅近くの清新町の団地に住んでいる。専業主婦の妻と2歳になる娘の3人家族。インド南部出身者特有の黒い肌、毛髪は縮れ毛だ。最南端タミルナード州のラーマナタプラムで1984年に生まれた。インドのITサービス企業の技術者で、いまは日本の保険会社に派遣されている。年金を管理するシステムの開発やメインテナンスなどが主な仕事である。

 父親は材木商だった。インドでは公立より私立の学校の方がずっと学習内容の水準が高い。ラジャンは私立学校に通って英語で授業を受けたのでもちろん英語は堪能だが、母語はタミール語だ。隣のケララ州の言語も理解できる。ヒンドゥ語は話すのはそれほど得意ではないが、日本語もかなり上手だから、5つの言語に通じていることになる。

 大学は理系の難関校、国立工科大学(NIT)を卒業した。インドで最難関のインド工科大学(IIT)と並ぶ有名大学だ。タミルナード州の州都にあるNITチェンナイ校で学んだので、大学生のときから故郷を離れた。

 就職はまったく苦労しなかった。企業の担当者が大学まで出向いてきて、リクルート合戦を繰り広げるからだ。グーグルやマイクロソフト、タタ財閥のグループ企業などから話を聞いたが、最終的には大手ITサービス企業のコグニザント・テクノロジー・ソリューションズ(CTS)を選んだ。契約期間中の辞職にペナルティがなかったからだ。1年ぐらい勤めたあと、MBA(経営学修士)を取得するために大学に入り直すつもりだった。

 結果的にはMBAは取得せず、ずっとCTSに在籍し続けている。海外経験は豊富だ。入社して2年ほどチェンナイで働いたあと、初めての東京勤務は1年ほどだった。インド勤務を挟む形で、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで2年半、2度目の東京勤務はもう3年近くになる。


ラジャン一家 ©佐々木実

 ラジャンは2度目の東京勤務前、妻と見合い結婚をした。同じジャーティ(カースト制度の基礎になる共同体)の妻もIT関連の仕事をしていたが、東京に移るのを機に退職した。

 東京で働くメリットはなんといっても給料だ。インドでの勤務時のおよそ4倍になる。今の月給は55万円。月約12万円の家賃は給料から支払う。毎日食事をつくる妻のために週末に1回はインド料理レストラン。たまに旅行にでると出費がかさむが家族のためだから仕方ない。

 給料が4倍といっても、日本は生活費が高すぎるのでヘタをすればインド勤務より貯金が少なくなりかねない。できるだけ節約して、帰国したときにマイホームを購入するための資金を蓄えなければならない。娘の教育はインドで受けさせたいので、東京は長くてもあと3年ぐらい。帰国したら、もう海外勤務はしないつもりだ。

 40歳ごろには今の仕事は辞め、生まれ故郷ラーマナタプラムに戻ってまったく別のビジネスをしようと考えている。ITの仕事は常に新しい知識が求められるし、給料の面でも若いほうが有利だ。同じような考えをもつ同僚は案外多い。あと20年したら、インドは道路や交通網などインフラの面では日本と比べて遜色ない国になっているだろう。ラジャンはいまそう思っている。

 ラジャンは独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)の14階建て賃貸マンションに住んでいる。同じ階の13世帯のうち6世帯か7世帯がインド人家族だと話していた。インド人がめずらしくないせいもあるのだろう、朝の出勤時にあいさつする程度だという。「葛西クリーンタウン」と名づけられたこの団地は昭和58(1983)年に入居が始まった。東京都内では最後にできた大規模団地だ。

 UR都市機構は通称「UR」と呼ばれている。西葛西周辺にはURの団地がいくつもある。いまやインド人はURのお得意様だ。URの賃貸住宅は礼金なしで契約更新料もいらない。インド人にとって重要なのが「保証人なし」で入居できることだ。

「一番大事なのは、インド人の子供が通う学校があること」

 石川カマルはインド西部のマハーラーシュトラ州で育った。来日して15年以上になるが、生粋のインド育ち。妻もインド人なのになぜ「石川」かといえば、日本に帰化したからだ。「日本がいいのは平和だから。平和が一番ですよ」と日本人になった理由を語るカマルは、プロゴルファー石川遼のファンなのだという。独身時代に帰化して、インドの永住権も持っている。

「メイド・イン・ジャパン」の工業製品に関心をもって来日したカマルは、はじめは大田区の自動車部品工場で働いていた。不動産業に転じたのは2年前だ。この2年間だけでURの賃貸物件を500件以上は仲介しているという。主要な顧客がインド人で、インド人客の9割はIT技術者である。

「ITの人は25歳から40歳代までいますが、若い人が多いですね。年収はだいたい500万円台から600万円台。マネージャーなどで1000万円とか1400万円とかの人もいる。プロジェクトが終われば別のプロジェクトに移るから、1年の人もいれば3年の人もいるし、もっと長い人もいます。滞在期間が不安定だから、給料が高いとは思いません。インドに帰ったらもとの給料に戻るから」

 カマルは西葛西駅北側すぐの小島町2丁目団地に住む。URの賃貸住宅だ。住民の4割ぐらいがインド人だろうという(URに確認すると、「統計はとっていない」とのことだった)。

 江戸川区の別のUR団地で管理人に話を聞くと、団地の集会所を使用するのはインド人ばかりで、フェスティバルに備えてダンスを練習したり奥様たちだけでお茶会を催したりしているということだった。西葛西周辺のUR団地内を歩くと、リタイアしたばかりらしい初老の男性が所在なげに散歩する姿をたびたび見かける。ベビーカーを押しながら家路につくインド人若夫婦とのコントラストが鮮やかで、「企業戦士」の世代交代を目のあたりにしたような感覚にとらわれた。

 カマルは、インド人が西葛西周辺に集まった理由はUR住宅だけではないという。「一番大事なのは、インド人の子供が通う学校があること」と断定的にいった。カマルにも4歳の娘がいる。


日本でもポピュラーになったインド食材 ©iStock.com

 小島町2丁目団地でインド食材店を営むピライはふたりの娘を育てている。教育の話になると、店の客をほったらかして説明に熱がこもった。

「重要なのは教育だけね。教育の基礎がストロングなら、グローバルに生きていけますからね」

 上の9歳になる娘は、学校の授業料など毎月の教育関係の出費が8万円ほど。妹も別の国際学校に通わせているのでたいへんだが、姉は算数があまり得意でないのでインターネット上で家庭教師を雇って算数を学ばせるという。

「インドではなく、アメリカの大学に行かせたい。ボストンあたりの大学がいいね。数学、英語の力をつけておくことが大事よ」

 ピライは子供が通う学校として、日本の公立学校は選択肢にならないとはっきり言った。これは“リトル・インド”の住民の総意といってもいいだろう。英語で学ぶことができなければ、教育の意味がないと考えているからである。

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